本日、仕事もそこそこにして楽しみにしていた初見の「オネーギン」を観てまいりました。
「オネーギン」
ジョン・クランコによる3幕のバレエ
アレクサンドル・プーシキンの散文小説原作
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・I.チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
装置・衣裳:ユルゲン・ローゼ
世界初演:1965年4月13日、シュツットガルト
改訂版初演:1967年10月27日、シュツットガルト
オネーギン:イリ・イェリネク
レンスキー:フリーデマン・フォーゲル
ラーリナ夫人:メリンダ・ウィサム
タチヤーナ:アリシア・アマトリアン
オリガ:カーチャ・ヴュンシュ
乳母:ルドミラ・ボガード
グレーミン公爵:ダミアーノ・ペテネッラ
親類、田舎の人々、サンクトペテルブルクの貴族たち:シュツットガルト・バレエ団
先日に引続き、奇跡の様な舞台。 スタンディングで拍手してしまいましたが、余りにも入り込んでしまった私は、周りの迷惑も考えずに、3度目のカーテンコールから立ち上がってしまいました。それも涙目いっぱいで。 少し恥ずかしさもありましたが「素晴らしいでは全然足りない」。
レンスキーがオネーギンとオリガの遊戯に真剣に怒りだす場面、タチヤーナとオリガが決闘を止める願いも聞かずにオネーギンの弾丸に倒れる所から、奇跡が始まった気がします。でも今思うと「鏡のパ・ド・ドゥ」も素晴らしいし、チャイコフスキーの楽曲が何倍にも増幅します。今日は少し遠い席でだったので、オペラグラスを手放さずに観ている2幕終了・・目を押さえながら必死で観ていました。
イリのオネーギン、アリシアのタチヤーナは1幕は本当に苛立ち、また少女の彼女を鬱陶しく思う、男性の傲慢さが噴出し、気が向いた時の気持ちの表現、観ていて苛立つぐらいに入っている自分が有りました。このキャスティングでの舞台はもうほとんど現実と夢の世界の狭間です。そうかと思うと、レンスキーとオリガの愛が溢れるパ・ド・ドゥは心打たれますし、フォーゲルのソロの素晴らしさは、先日の「眠れる森の美女」でも発揮されていました。 3幕が始まり、目を疑ったのがアリシア・タチヤーナの変貌。女性としてとてつもなく素敵になっていました。これは確かにオネーギンが後悔するのもわかります。この美しさはグレーミン公爵に愛されている証しであり、またタチヤーナも心が平和で暮らしていたと思います。ところが、オネーギンの訪問から一変するタチヤーナ。アリシアの顔が全然変わり、グレーミン公爵と私室へと下がる瞬間の、ほんの少しの時間に物語を感じさせる後姿は、凄かった。(3秒ぐらい氷りついた様) タチヤーナはオネーギン観ることが出来ません。 「手紙のパ・ド・ドゥ」はタチヤーナの人間性を見せて頂きました。
このあとのタチヤーナは想像の範囲を超えませんが、平和に愛されて暮らせる家庭を守る為、ベールに隠す事は容易に想像できます。ぜひこうであって欲しいと考えます。心を解き放つ事が、一度の恋で出来なくなる苦しみ。また書いていしまいますが、このキャストで見れたことを幸せに思います。 文化会館を出てからもチャイコフスキーの楽曲が鳴り続けています。 初見でしたがこれほどのショックは初めてかもしれません。
まだまだ書き足りません。
1幕の村人の男女のアンサンブル・・、2回単純に1列に横切るだけですが、楽曲との一体感。
レンスキーの疾風と純粋。
乳母がもう寝なさいと言うが、胸いっぱいのタチヤーナが手紙を書いている表情。
タチヤーナの後ろから手紙を破るオネーギンの傲慢。
オネーギンの手紙を破る去るタチヤーナの決意。
キャストでは
フォーゲルの足さばきの美しさ
アリシアの変貌と、高い技術に裏打ちされた抒情性
イリ・イェリネクのすべて
舞台ですから、舞台スタッフ、舞台・演技ほかキャスト全ての積み重ねが作ったのは頭では理解できますが、さも現実の様に、舞台スタッフの事を忘れるくらい、またオーケストラが少し外していることなど、忘れてしまう位に、入ることが出来る奇跡的な舞台でした。