本日ほんとうに久しぶりにコンサート、最近のネガティブな気分を払拭したいが為、赤坂へ参りました。
ソウル・フィルハーモニー管弦楽団
[指揮]チョン・ミョンフン
[独奏・独唱]庄司紗矢香(vl)
プログラム:
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 (ヴァイオリン:庄司紗矢香)
チャイコフスキー:交響曲第6番 「悲愴」
アンコール:
交響曲第4番ヘ短調作品36 第4楽章から
でした。
オケメンバーが入った瞬間、「あっ・・N響のチェロ」って思った。
初めて舞台で聞いた庄司紗矢香のヴァイオリンは、やはり好きではありませんでした。でも技術的な巧さ、ハーモニクスでこれだけ美しい音を出せる人はあまり居ないでしょう。また、見事な音感は指揮者が完全に支配した空気の中でさえも、完璧な調和を魅せていた。余りにもオケと一体になった姿は、ソロイストで有ることを忘れる位に、溶けこみ、調和し、美しいコンチェルトを聞かせてくれた。でもそれだけ。肝心な庄司紗矢香の顔が全然見えてこない。ソロイストの主張等、無用の如く・・、なにかCDで聴くかの如く、抜けていった協奏曲。
それが庄司紗矢香の音楽と言えば、そうかもしれない。無数の調和の方法があるし音楽家が、どの方法を、”そのとき”選択するかは、客である私の選択では無いことは確か! それは好みとしてでしか、言う事が出来ないし、事前に知るすべも無い。もちろん一瞬の舞台であって、無常であって、この方法しか・・って事は、同じ音楽家でもあり得ないのである・・・ って思っている。
続きで、
それと今日のコンサートは散々だった。コンチェルト第1楽章で拍手は出るし、悲愴では、第3楽章終章時点で、ブラボーコール迄出る始末。つくづく嫌になった。挙句の果ては、スタンディングオベーション。こんな事ってあり得ない。へそ曲がりな私は、嫌気がさしてしまったのです。 ましてアンコールが「交響曲4番」そう、有名な・・、メック夫人への献辞。終楽章はとても楽しげで、一時的には幸せな気分で聞ける終楽章であるも、「乗り越える悲しみ」を綴ったチャイコフスキーの人生を歌った交響曲。
相応しい選択って無いの?
なぜ今?
全く意味不明。
チョン・ミョンフンは冒頭の挨拶、そう地震により帰国した事、日本への慈しみ、言葉で語っていた事が全て???って思った。
最低限、悲愴迄は良かったのだが、アンコール曲を間違えたと思う。
・・ これはあくまで私の所感であって、他意は無い。
SPOはとても力強い感想である。ワルツでの歌い方が、特に第1ヴァイオリンの美しい事。これには恐れいった。でも、コンチェルトでの出だしは、音がバラバラで逆にびっくりした。面白い。 もちろん、その後直ぐに持ち直した事は言っておくが・・。細かいことが気になる日本人と、気にしない国民性が顕著に出ていたと思う。fff なんて所の調和は見事でったと思う。こんな激しさ、力は日本のオケではめったに聴くことは出来ないきがする。チャイコフスキーは本当に自分が聴くときによっても、また演奏家によっても、全然違う楽曲に聞こえることが多いので、ここで書いていることが明日否定するかもしれませんが、本日の感想でした。
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