2009年2月19日木曜日

2/18 ハンブルク・バレエ『椿姫』


ハンブルク・バレエ『椿姫』
Die Kameliendame

音楽:フレデリック・ショパン
演出・振付:ジョン・ノイマイヤー
舞台美術・衣装:ユルゲン・ローゼ

マルグリット・ゴーチェ: ジョエル・ブーローニュ
アルマン・デュヴァル: アレクサンドル・リアブコ

デュバル父: カーステン・ユング
オランピア: カロリーナ・アギュエロ
プリュダンス(デュヴェルノア):レスリー・ヘイルマン (慎重なデュヴェルノア)
ガストン: アルセン・メグラビアン
ナニーヌ:ミヤナ・フラチャリッチ
伯爵:ヨロスラフ・イヴァネンコ
N伯爵:ヨハン・ステグリ
マノン:エレーヌ・ブシェ
デ・グリュー:ティアゴ・ソアレス
ジュリー・デュプラ:今回も参加なし


 小説では、マルグリットは20歳の小柄な女性、痩身を粋な着こなしでカバーする、貴族の雰囲気を持ったと記されていたと思います。田舎への遠征が数か月間続いたと言うことも含めると、21歳での終焉と考えます。そのあと、アルマンはマルグリットの妹に、墓の移動許可を貰い、彼女の棺桶を見て、初めて死の現実を受け止めます。 特に原作にオペラより近いと言うことは多分ですが正しいと考えますが、本当にノイマイヤーはこの大規模な場面設定を簡単に幕1枚で変えるし、人間の苦悩をある時はパ・ド・ドゥに仕上げ、ある時は硬直した女性をリフトし、いかにもこの世界で変わらない物は無い「諸行無常」を訴え、またある時は対比によって追い落とし切る徹底ぶり。 

 本当に幸せな気分には人間は絶対になり切る事が出来ないのかも・・って。 私なんかでも確かに楽しい時は、「一生このまま続く訳は無い」っと不安を感じたりしたことがあります。(先日の人魚姫で、生まれ育った環境で感覚が違うと思ったのはこの部分です。心配性、臆病、陰気などの感覚とその正対する部分)正負・陰影があるとすると、必ずいつもノイマイヤーの振付けには、本質的な人間感情が存在します。 本当に恰好をつけないで、「ありのままを表現すること」で、この感覚(では収まりませんが・・)は生まれるものだと信じたい。 
 小説との絶対的な違いは、マルグリットの存在です。読み進める中で自分のマルグリット像が出来上がって来るかと思います。もちろん妄想的に女性像を思い描き、またアルマンはあくまで正当で美しい男性像とが、互いの境遇ではどうする事も出来ない、また最大限の努力をしても壁は越えられない「宿命」。 人魚姫も越えられない「運命」。 決意する高潔さ、悲恋の結果としての死とその潔さ。私の幸せなバレエ鑑賞を徹底的に突き落とす作品でした、でも実は文学作品が大好きな事に改めて気付かされた舞台でした。(今日はアルマンがとても感動的でしたが)
素敵でした。
もちろん2公演とも・・・・

さて、「椿姫」はシルビア・アッツォーニでも、観たかったと言うのが正直な感想です。もちろん人魚姫の舞台を見てからですが・・・
私、この演目はDVDでしか見たことが無く、20歳のマルグリットを、マリシア・ハイデが演じており、好き嫌いで言うと、やはり演技の上手い若すぎない方が好きです。いろいろYoutube等で調べて、ジョエル・ブーローニュの公演を選びました。またアレクサンドル・リアブコは以前「エトワールの花束」で観た以来です。
 なんと言っても、忘れられない場面は、白のPDDと、その後に続くアルマンの父とマルグリットとのPDD、あまりにも切ない。ブーローニュをオペラグラスで観ていましたが、レンズが曇りました。本当にこの女性の演技力の素晴らしをここで認識(実は、はじめは少し違和感がありました)。 最初ブーローニュの演技が神経質過ぎると感じていました。でも実はマルグリットはこの堕落した生活を習慣化してたのは、そう”生きていく為” だった事を思い出しました。 パリの劇場のどこを回っても、パーティで踊ってても、高価なプレゼントで飾っても、アルマンとのはじめての食事でも、常に無理にはしゃぎ、また浪費することは、自身への証なのです。私(の勝手な思い込み)が気づいてからはブーローニュは、細やかなと言う”思い”に変り、3幕目のお金を払いのけるところでピークを迎えました。素敵でした。
公園の中で行きかう人の中に、アルマンがマルグリットに出会います。オランピアの誘惑のシーンでは、あれっ・・変わったのかな・・って思ったより後に、絶妙のタイミングでアルマンの腕に滑り込ませます。オランピアのこの楽しみかたって何? ・・ 心底娼婦のオランピアを観た様な気持ちになり、アギュエロの上手さでした。
 その他で大きな拍手を送ったのは、やはりマノンのエレーヌ・ブシェ。 なんとも迫力があり、死に逝く運命をデ・グリュー(ティアゴ・ソアレス)と力尽きるまで踊り切ります。心が震えました。最後はマルグリットとトロワになるのですが、この優しさは贖罪したマノンを天使に変えていました。この対比を一般的に見る気にはなれない演技です。愛する人の腕の中で逝く事と、思い出の中で逝くこと・・・対比しているようですが、この日ばかりは私の中で対比に見えなかったのも事実です。
 一方、コール・ドのみなさんは、あまり綺麗ではありませんが、この規模の演目をするには、役者が十分な仕事をし、その中で世界的に育っていくのでしょう。 この仕組みを生み出しているハンブルグ市(行ったことが無い私ですが)に憧れます。官僚の言いなりの日本。ダンサー=芸術家の生活をキチンと保証して欲しいと思います。
 それとナニーヌが妄想で思ってた以上に、奇麗すぎです。まだ会場全体が明るい中、場内放送で5分後に始まります・・とアナウンスがあって暫くした後、ナニーヌがオークション部屋に入って行きます。一番すなおなマルグリットを理解しているかも知れません。上品な所にいたのかもしれませんし、そうでないかも知れません・・が、ミヤナ・フラチャリッチのナニーヌはとても品がありましたし、田舎の家での弾けようは素敵でした。

 ”全体を通して少し違和感”が有ったのも事実です。キャストが妙にシリアスになり過ぎ、テープの音も小さくて1幕は、あれれって思う事が多かった様に思います。・・・民音さんへ・・・椿姫は、神奈川県民ホールでしたかったのか、しょうがなかったのか、あのホールはとても合っていたと思います。 私にとっても、とてもと良い1日でした。 少し寒かったのですが終了後ゆっくりと歩いて帰りました。頭の中を整理しながらにはちょうど良い時間になりました。電車にのってから少し頭痛がし、帰って温まりBLOGもUPしないで眠ってしまいましたが、上に書いた通り、とても疲れた・・と言うのが感想です。 1演目(人魚姫)が日曜で良かった気がします。

私が感じたマルグリットとの心の動き「ジョエル・ブーローニュ」版を書いて見たいと思いましたが、後日にします。
素晴らしいでは語れない舞台でしたし、民音さんを含め、感謝ですね♪

    

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