2010年3月22日月曜日

3/22 新国立劇場バレエ 『アンナ·カレーニナ』 1回目

新国立劇場バレエで、新たに演目に加わった『アンナ·カレーニナ』、ロシア文学の神髄を観て参りました。 比喩的でリズミカルな表現と、両輪をなすストーリー。賢母ドリイとオブロンスキーの大家族の生活と、リョーヴィン・キチイの愛に満ちた時間。 これは生活感の中で美しさを奏でます。もう片側は、もちろんタイトル・ロールになったアンナとヴロンスキーとカレーニンに苦悩の時間軸。互いの時間軸が離れ、また絡みあい、小説を読んでいたわたしは、期待をしてこのマチネを迎えます。そう、アンナの心境表現は?、またカレーニンが一時的に天使になる様子は?、ヴロンスキーの愛ゆえの犠牲で獲得するものは?・・・ 思う事も多い小説ですね。兄オブロンスキーとドリイの浮気の仲裁に行った先で、会うべくしてヴロンスキーと会ってしまう。もともと賢母であったアンナは、”サンクトペテルブルグの良心” であるグループで、上品に、また敬虔に暮らした日々。
快活で有った筈のアンナの2面性。息子セリョージャと愛人ヴロンスキーの、究極とも言うべき選択を迫られた時の苦悩と、現代でも解決出来ない問題への対峙。幕切れ。
いろんな事を思い浮かべておりました。
また使われる楽曲もとても楽しみにしておりました。




スタッフ
    【振 付】ボリス・エイフマン
    【音 楽】ピョートル・チャイコフスキーなど
    【装 置】マルティニシュ・ヴィルカルシス
    【衣 装】ヴャチェスラフ・オークネフ
    【照 明】グレプ・フィリシチンスキー
                ボリス・エイフマン
    【芸術監督】牧 阿佐美
    【主 催】新国立劇場

キャスト
    【アンナ】    厚木三杏
    【カレーニン】  山本隆之
    【ヴロンスキー】貝川鐡夫
    【キティ】    本島 美和

新国立劇場バレエダンサー ほか



    中劇場は始まる時、真っ暗になるので少し・・っていうか怖いです。 まっくろの暗闇のその中、弦楽セレナーデ第1楽章が響きます。このどこをとっても素晴らしい楽曲といろいろな思いが合わさって、息子セリョージャへの愛に生きるアンナの生々しい位の厚木さんに、いきなりなみだしてしまうわたし。「いい」、厚木さん・・オデット以来苦手としていたわたしでしたが、今日ここまでは、「良い」。(って始まって1分程度。すぐでしたが・・)しっかり舞台を掴んでおりました。この演目難しいと思いました。真っ直ぐに観ている方が良い。小説など読まないで、素で観た方が入る。トルストイ、新潮文庫の単庫本でも1500ページ以上の長編です。自分でポイントと思っていた処も多いし、物語の中で迷子になっている自分。パンフレットを読んでボリス・エイフマンのアンナ・カレーニナへの思い、焦点は感じたつもりでいましたが、だめダメでした。(の為、今回は気になったポイントしか書くことが出来ない様です) 考えないで観る ・・これしか無い。

    セリョージャを寝かしつけた後、弦楽セレナーデに乗せて舞踏会のシーンが展開されます。(ここはキティがヴロンスキーとマズルカを・・と思ってたシーン、結婚を申し込まれ、「幸せな結婚」を夢見るキチイ)・・でもこの舞台では、ヴロンスキーとアンナはこの舞踏会で出会いました。一目でヴロンスキーが気になりました。(判るよ!でも厚木さんちょっと大げさすぎ?)。キティは全く予期せぬ行動・・ヴロンスキーがアンナをマズルカに誘った事に打ち砕かれてしまいますが、一向に気にすることなく、って言うかアンナしか目に入らないヴロンスキー。貝川さん・・ナイスです。とぼけたキャラは合いますね。
    この舞踏会のシーン、新国立劇場バレエの贅沢に配したソロイスト達は見事でした。もちろんこの後、何度か交響曲に乗せて縦横上下へ走り、リフトし、交差するシーンが繰り広げられますが、何処を切っても素晴らしいし、快活。上手く演目を選択したと思います。先日「セレナーデ」では、NYCBとでの違い・・コンチェルトに乗せた物足りない新国立劇場バレエの躍動感を書きましたが、良い悪いでは無く個性と思っている最近です。 あっ・・もちろん好みは有りますが、最後「黄金の仮面」で疾走する振付の素晴らしさは圧倒されますし、幻想序曲「ロミオとジュリエット」にのせ、黒の衣装を着て蒸気機関車の疾風を演じるコール・ドは迫力満点です。ドキドキします。表現が変ですが、日本男児(だけではありませんが・・)の心意気の強さを感じておりました。(ふんどし・大太鼓の圧倒感ってのが合っているかも?) ひろみさんが書いておられます。 → こちら http://www.t-twins.net/message/index.html ほんとうにきついシーンなのでしょうね♪ 十分に迫力は伝わります。

    舞踏会から時間が経ち、論理的な思考以外でも、アンナの行動の異変に気付く部分です。山本さん扮するカレーニンは、その思いを動と静で表現。(出来は未だなのでしょう)一部慣れてないな・・って感じるし、凄いと感ずる部分のギャップがまだ大きい。(いつもの完成度では無い事は感じた) 終盤に向けて完成度が上がってくるのが楽しみ。急激な「動」と時間が止まったかのように見える「静」。エイフマン独特の振付。 彼の表現はこの時点で苦悩を滲ませていた。そう、どんどん引き込まれる。厚木さんアンナとのPDDが大変長い時間、複雑でタイミングの難しさは観ててドキドキする位ですが、気持ちは十分に伝わる。「わたしはあなたに触れらる事を拒みます」って声が聞こえてくるPDD。アンナがベッドの中で、カレーニンを拒絶する論理的理由が理解出来ないし、仮説による追求もしない。
  
    またまた時間が経ち、2人のPDDを目撃してしまうカレーニン。ここでも山本さんの演技がさえる。理性(我慢)が伝わります。彼は「ロシアの知性」で有った為、倫理を尊重し、軽蔑と位置付ける猜疑心的な感情・自分の心の中の嫉妬、アンナの視線、などに蓋をしてしまいます。もちろんそれがあだとなるのは明白。一本気でいろんな意味で正直なアンナには、これは欺瞞としか映りません。この思いは”欺瞞に満ちたカレーニン”を軽蔑で拒否し、ヴロンスキーへの愛へどんどん転嫁され、彼女の生きる意味とします。上手でアンナがベッドに横たわって模索している中、下手カレーニンが暗闇で1人。考え上げた末、アンナがいるベッドルームへ向かいます。1つになった瞬間からアンナの絶叫。(官能的な場面でした)

    もう受け入れる事が出来ないアンナ。カレーニンは2人の事を既に知っています。 ヴロンスキー(下手)、華紺の紗幕を境に(ライティングが見事です。幕無しでも全然OKです)、上手にアンナが紗幕でうっすらとベッドにいる姿が映ります。完全に2人の気持ちがシンクした瞬間。互いに同じヴァリエーションを紡ぎだし(って、ここもう少し合わせて欲しかったです!)、こころとからだを合わせる事が出来ない切なさを感たかった。(← 振付ですが) 直ぐにでも彼のもと・・へって。パーティなのか? (何色か忘れましたが)ライトにぱっと華やぎ、群舞が踊り、何度目かの再会。ついにアンナはヴロンスキーと結ばれます。 結果はカレーニンの気付く事となり、世間的外聞を守る為に考え出した案(セリョージャとの生活)を飲む事が出来ないアンナは、セリョージャからついに離れる事となり、悲観のうちにヴロンスキーへ向かい、1幕が終了します。 この写真は、そのシーンです。 残酷です。でもそうなのかもしれません。
選択はしなければならないのです。

概ね流れは合っている気がしますが、細かい組み立てが、初見で覚えきれておりません

2幕はイタリア旅行からの始まりでした。(これ感です。たぶん)
    2人は大きなトランクを広げて、旅行を楽しんでる様です。彼女曰く、「真の夫」であるヴロンスキーとの旅行です。軍隊を除籍したのであろうヴロンスキーは、アンナといられなくなったサンクトぺテルスブルグから離れ、社交界から離れ、悠々自適に暮らし始める事を誓い、1つ目の行動がイタリア旅行の筈。らしき感じはありあませんが、屈託の無いアンナの表情とヴロンスキーの楽しげな、また短い幸せは絶頂なのでしょう。たのしげ♪

    たぶんサンクトぺテルスブルグに帰り、久しぶり・・人の噂もと感じてた2人に、世界は冷酷でした。・・やっぱり。 それまで楽しく踊っている群舞は、アンナ登場した瞬間、またアンナとヴロンスキーが踊りだした瞬間から、顔をゆがめ、不機嫌に、指を差し示し軽蔑を浴びせかけます。ここ迫力ありましたね。何人かは不明ですが、新国立劇場のソロイスト達が全員揃ったのでは無いか・・・位の軽蔑の視線が一点に。 そうアンナは瞬間的に、条件反射の様に立ち向かいます。・・がヴロンスキーが少し弱い。協力しても良いのに・・・ヴロンスキー・・って思いながらですが、何回か跳ね除けますが、アンナも、もう立ち向かう勇気が底を尽きます。黄金のマスクを被って、金の刺繍、アクセサリを贅沢に付けた、群舞はフォーメーションをあらゆる形に変化させて、軽蔑の感情を送ります。(この豪華さと気持ちが凄い)ついに我慢出来なくなって立ち去ります。

アンナにとって残されているのは、そう愛しい息子のセリョージャ、・・と生きる意味のヴロンスキーとの愛、失いかけの将来。

ここから意味が少し不思議なのですが、睡眠用のモルヒネの世界感なのか?
    ワゴンの登場でした(上手前方にワゴンがあります。1人が通れる位の小さなもの)。 憔悴してるものの、財力に任せ美しいドレス姿のアンナが、部屋で1人。先程の苦しさ、今後の対処を考えています。 横たわりアンナは、ワゴンから顔を覗かせ、そのワゴンを通った瞬間から深層心理の世界。裸です。(って見えるだけですが)最終的には全てのダンサーがまるで裸で蠢く、おぞましい世界感を演出している・・これはアンナの心の葛藤である事は明白。 選択した息子のセリョージャとの別れ、最後に残る筈の、ヴロンスキーとの愛。生活、そして残された将来。このソドム的な振付は、観る事がつらくなる位の迫力と雰囲気を持っておりました。 この部分はあまり観たい ”さま” ではありませんが、この世界観では必須なのでしょう。みなさん、ダンサーの方々は素晴らしい躍動感で演じてられてた事、とても感服しました。 ブラーヴォです♪
気持ちの整理がつかない、アンナはヴロンスキーに迫り、「愛している?」 「ほんとう?」・・ もう狂気に満ちていました。厚木さんの顔だけが怖いし、受け止めるべき貝川さんが、ここでも弱い。少しアンバランスですが、理解は出来ます。 ここではヴロンスキーへ選択を迫るアンナ。「一緒に居てほしい」・・「仕事がある」・・「不審感に繋がる」・・「愛していない?」って流れ。何処にもいけなくなるヴロンスキー。なにも出来なくなる2人。アンナはヴロンスキーを愛しているし、その気持ちがPDDでも伝わります。

いよいよラストです。ここは判りやすい。
    蒸気機関車の音とスモーク。列車を思わせるオブジェクト。群舞は黒い衣装と被りもので、疾走する機関車を表現します。とてつもない迫力と、楽曲が合い混じって、まるで『ボレロ』の最後近くの様な迫力で、前に迫ります。アンナが舞台後方のバルコニーに登場します。切羽詰まった表情がわたしの席からでも伺えます。幕切れと同時にエンディングに向かいました。

やっぱり、細かい組み立てが、初見で覚えきれておりません
間違っていたらごめんなさい
再度あと数回観ますので、間違いは都度修正します

    ボリス・エイフマンを演目にする事の素晴らしさ、難しさ? を初めて知りました・・って判ったふりをしすぎですが・・(すみません)、映像で「ロシアのハムレット」を観ましたが、とにかく初見はアクロバチック等と言う言葉が陳腐で、振付の必要性と、ダンサーの身体能力・表現力を、このカンパニーのプリンシパルは必要である事を思った次第です。今回新国立劇場バレエでの取り組みに対しては、ブラーヴォで有る事は間違いないと思いますが、なぜかわたしの中では「しっくり」ときません。今回だけかもしれませんし、次回は反対を言っているかもしれません。
なにせ、1回目の出来としては素晴らしいと思いましたし、男性陣を充実させた事が成功の一因と考えます。

最後今回のエイフマン・バレエの方、あとボリス・エイフマン本人もカーテンコールに出てこられました。スタンディングの方もおられた様です。
私自身は、上手く理解するまでに至っておりません



楽曲(1幕で使用されている楽曲です)
    チャイコフスキー 弦楽セレナーデ ハ長調 op.48 第1楽章
    チャイコフスキー 組曲第1番 ニ長調 op.43 序曲とフーガ
    チャイコフスキー 交響的バラード「ヴォエヴォーダ(地方長官)」 op.78
    チャイコフスキー 組曲第1番 ニ長調 op.43 間奏曲
    チャイコフスキー 懐かしい大地の思いで op.42 スケルツォ ハ短調
    チャイコフスキー 交響曲 第6番ロ長調「悲愴」op.74 第1楽章
    アレクセイ・ウートキン 「ロシアの鐘」
    チャイコフスキー 交響曲「マンフレッド」 op.58 レント・ルグーブレ
    チャイコフスキー 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 op.32
    チャイコフスキー 弦楽6重奏曲「フィレンツェの思い出」 ニ短調 op.70
    アレクセイ・ウートキン 「ユーリエフの鐘」
楽曲(2幕で使用されている楽曲です)
    チャイコフスキー 交響曲第2番ハ短調 op.17 第4楽章
    チャイコフスキー 幻想序曲「ハムレット」 op.67a
    チャイコフスキー 組曲第3番 ト長調 op.55 主題と変奏
    チャイコフスキー 組曲第3番 ト長調 op.55 悲歌
    チャイコフスキー 交響曲 第6番ロ長調「悲愴」op.74 第3楽章
    チャイコフスキー 懐かしい大地の思いで op.42 瞑想曲 ニ短調
    デイブ・ミラー  電子音楽
    レオニード・エリョーミン  電子音楽
    チャイコフスキー 幻想曲「テンペスト」op.18
    チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」

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