今日のマチネは「カレーニン・苦悩と論理性」を観た気がしてなりません。
キャスト:
【アンナ】厚木三杏
【カレーニン】山本隆之
【ヴロンスキー】貝川鐡夫
【キティ】本島 美和
新国立劇場バレエダンサー ほか
厚木三杏 | 貝川鐡夫 | 山本隆之 | 本島美和 |
マチネ短評(感動順):
■知ってしまったカレーニンと山本さん
薄いベージュのシュフォンと刺繍の豪奢な衣装を着たアンナは、ヴロンスキーと結ばれます。寝転がりキスをし、互いに振付による会話を紡ぎます。そこに通りかかったカレーニン。観ていた事を理解する「間」。山本さんのここからが凄かった。到底受け入れる事を拒否するのか、それとも受け入れて偽善的な善後策を練るのか? ・・もちろん表現したいのは、苦悩はアンナへの愛ゆえ・・なのかもって思いました。そう彼は公僕を、絵画化した様な人。リズムに全く不協和音は無く、常にテンポを一定に刻み続けるべき性格。その彼が今体験した不協和音。受け入れる事が出来ない苦しみ(って言うと陳腐ですが、言葉が見つからない)を、すざましい勢いで表現していた。楽曲を良く覚えていないのですが、わたしの中に波・・大きな波が押し寄せる事となります。(タイトルは知らないのですが、楽曲を知っていた為。もう相乗です)
どちからと言うと笑い顔の山本さんが、あの表情には、わたしすっかり惚れる事となりました。凄いとしか言いようがありません。苦悩が言葉となります。背中を見せていてもそうです。全くもって素晴らしいダンサーです。
■黄金のマスクの舞踏とその後・・
たぶんあの豪華さ、飾りはイタリアと考えれらます。
黄金のマスクは仮面舞踏会で、名前を隠し快楽に溺れるにはうってつけ。楽しむ事を人生の生きがいとする、その節操のなさの中に身を置くアンナとヴロンスキー。もう振りの迫力と楽曲が見事に合わさり、音のテンポとスピード感が完全にシンクロし、その上衣装の豪華(エグい程の)さと煌びやかさは、この上なく感動ものです。もう終わった瞬間から感動して拍手する事すら動く事が出来ない状態です。新国立劇場バレエのソロイスト達は、楽曲に乗って完璧なスピード感だった気がします。(テープだからね!)
その旅先でその仮面舞踏会から帰ったアンナとヴロンスキーは幸せ♪ 愛しいアンナの肖像画に励むヴロンスキーは、書きながらでも、そんな事より・・って感じでそわそわそ。絶頂なのです。窓辺を眺めるアンナの後ろから、腕いっぱいでアンナを包み込む姿は少し感動的です。でもすぐそのあと、別のアンナが「このまま本当に続くの?」って言っている様なシーンが展開されます。布石は了解出来た気がします。
■カレーニンとアンナのパドドゥ
何度か展開されるカレーニンとアンナのパドドゥですが、これ程優位性が目まぐるしく変わる内容は初めて観ました。場面としては1幕の最後です。アンナとカレーニンの別れのシーン。拒否の優位性のアンナ、セリョージャへの愛ゆへのカレーニンの優位性、蔑むアンナの優位性、一瞬カレーニンはアンナへ許しを請う仕草を直ぐ撤回し、今度はアンナがカレーニンの手にキスをして、互いが目まぐるしく憎悪と蔑みと過去の愛と今を見事に2人に見せていただく事が出来ました。涙・・・
■最後の列車
やっぱりここは凄いです。とんでも無く凄い。テープの音量は容赦無しに場内を揺さぶり、ストロボライトが危機感を煽り、ステージからの白熱系のオレンジのライトが死の世界を表現。こんな凄い場面は観た事がない。その後の静けさと、今まで無機質だった群舞の一種独特の悲壮感。
■エイフマン
これは実はすべてのベースである為、この書き方が正しいか疑問です。が書かなきゃ!
心に正直で嘘の無いアンナが世間から蔑まれ忘れ去られ、偽善で覆い尽くしたカレーニンが評価される世界感。惨い物語ですし、惨い。
初演に向けて下記の記載がありました。
何がより大切なのだろうか。義務と感情の調和という、ありふれた幻想を守ることだろうか?それとも、嘘偽りの無い激情に身をゆだねる事だろうか?
はたして、わたしたちは感情の赴くままに家庭を破壊し、子供から母親の思いやりを奪う権利があるのだろうか?
最後に表現したい世界感が見事ですし、ある意味楽曲センスが良い。でも大好きなてチャイコフスキーのあの楽曲を今後聞くときのイメージが変わった事は否めません。
改めてゲスト組をソワレで観る事となります
0 件のコメント:
コメントを投稿